エレーナ・コスチュチェンコ『わたしの愛する国』

ロシアのジャーナリストでLGBT活動家のエレーナ・コスチュチェンコの新作『私の愛する国』がイタリア語で出版された。その他にも7言語での翻訳が現在進行中だそうだ。残念ながら、ロシア語オリジナルは出版されていない、ロシアの出版社が出すにはリスクが高すぎ、どこも手を出せずにいる。


フェミニスト反戦レジスタンスが、SNSにロシア語原文テキストの一部を公開してくれた。粗い訳ではあるが、ここに日本語訳でご紹介したいと思う。

 

 

第12章 戦争(私はどんなふうに育ったか)


 私は5歳、幼稚園にいる。冬。戦争ごっこをしている。大きな雪の山は要塞、その中にファシストどもがいる。私たちはそこに突撃する。ファシストはほとんどいない、誰もなりたがらなかったから、でも彼らにはメリットもある。要塞を防衛するほうが有利なのだ。雪玉が四方八方に飛んでいる。男の子はみんな戦闘員。私も戦闘員になりたいけど、看護師にしかなれない。なぜなら女の子だから。私は戦場から負傷者たちを運び出す。雪まみれの負傷者たちは笑っている。

 私は6歳。ママが、おじいちゃんが戦争に行った話をしてくれる。かつて私たちの国をドイツのファシストたちが攻撃したの、そして、おじいちゃんが私たちの国を護ってくれたのだと。彼は自ら志願して前線に行った。砲兵だった("砲兵 "という語を私は反復する)。彼は負傷しても、治るとまた戦った――今度は日本人と。なぜなら、日本人がファシストを手助けしていたから。その戦争は「大祖国戦争」と呼ばれていた――人びとが祖国を護るために戦っていたからよ。なぜ「大」なの? 男の人たちはほぼ全員、それに女の人たちもたくさん戦ったから、とママが言う。それで1100万人が死んだ。1100万人ってどのくらい? ママは唇を動かしながら計算する。ヤロスラヴリ16個分よ。私たちの町に生存者が誰もいないって想像してみて。それだけじゃなくて、他の町も15個、誰も生存者がいないっていうこと。一人もね。みんな殺されたの。

 私は、いくつもの死んだ町を想像する。

 私は8歳、今日は戦勝記念日。私たちはお隣のトーニャおばさんのところに行く。彼女も戦争で戦った。私たちはケーキと赤いカーネーションを買った。トーニャおばさんはお手製の青いワンピースを着て、胸にメダルをつけている。彼女は私たちのこともケーキも喜んでくれて、私を抱きしめにくる。私はトーニャおばさんが嫌い。彼女は臭い。それに耳も聞こえないから、言っていることを理解してもらうには、すごく大きな声で話さなきゃいけないし、唇をしっかりと動かさなきゃいけない。それに、彼女の家はすごく清潔で、すべてがピカピカで塵ひとつない。私はそういう清潔さが怖い、私は普通じゃない。でもトーニャおばさんは私のことが大好き。学校はどうかと訊かれる(よくないけど、よいと答えなきゃいけない)。ママはお茶をいれている。私たちはカップを手に乾杯する。ママが「平和に乾杯」と言う。

 私は10歳、映画を見ている。 『戦闘に行くのは年寄りだけ』というタイトル。映画では、とてもハンサムで勇敢な飛行士たちが、空でファシストと戦っている。映画は白黒で、どの顔も光でできているみたい。飛行大隊に若者たちが送り込まれるけど、「年寄り」たちは、彼らを救おうとして戦場に行かせない。でも若者たちも祖国を守りたいと思っている。出撃後、飛行士たちは楽隊を組み、素晴らしい歌を歌う。彼らは死ぬけれど、英雄的に美しく戦死する、黒い煙に巻かれて死にゆきながら、ある兵士がこう叫ぶ「ともに生きよう!」と。愛もある、美しい女性飛行士たちとだ。女性飛行士が死ぬと、男性飛行士は彼女たちの墓に行き、戦争が終わったら、また一緒に大好きな歌を歌うために戻ってくるよと約束する。私は考えることさえせずに、ただ感じている、「なんて素晴らしい、これが人生なんだ」と。

 私は11歳、ママに質問している、おじいさんは戦争のことを何か話してた?、ママは、「何も」と答える。まったくなんにも? まったくなんにも。一度だけ、死んだ馬を食べていたと言っただけ。違う、倒れた馬を食べたって言ったんだった。冬だったから、馬をのこぎりでスライスしたって。それだけ? それだけよ。勲章はもってた? もってたよ。でも、身につけたことはなかったね。私にくれたのよ、ママがまだ小さかった頃にね、おもちゃにしていて、 砂に埋めたりしたの。全部なくしちゃった。もったいない。もったいないね。おじいちゃんはなんで死んだの? 心臓が止まったの。おばあちゃんが夕食に呼んだけど来なくて。ほら、そこよ、そこに座ったまま死んでたの。

 私は12歳、トーニャおばさんのところに行く。彼女は喜ぶ。私は言う、「トーニャおばさん、戦争の話をして」。彼女は私の声が聞こえないと言う。トーニャおばさん、戦争の話をしてください! 何も聞こえないよ、レーナちゃん、すっかり耳が遠くなっちゃって。戦争の話よ! 国の話かい? いい国だったよ、ソ連はね。せ・ん・そ・う・の・は・な・し! 全然聞こえないよ、補聴器が壊れちゃったんだねぇ、きっと。トーニャおばさんは補聴器を外す、あたしは疲れたよ、ちょっと横になるね、さよなら、レーナ。

 私は12歳、図書館に向かっている。戦争に関する本を頼む。5冊借りて全部読む。それからさらに5冊借りる。それからさらに借りる。本の中の戦争は、映画ほど陽気じゃないけど、ヒロイズムは映画よりも多いし、すべてを感じとるためにゆっくり読むことができる。カレリアの森で、ヴァスコフ曹長の指揮下にいる女性高射砲兵たちが、戦略上重要な水路に潜入しようとするファシスト工作員たちを阻止しようとする。女性たちはわずか5名、工作員は16名。女性たちはみんな死んでしまう。いちばん素晴らしいある女性兵士が、死ぬときにこう言う、「祖国は水路から始まるんじゃない。そんなところからなんかじゃない。私たちは祖国を守ろうとした。まず祖国を、それから水路を」。私は号泣した、涙は甘美だった。もちろん、水路からじゃない、私の愛する祖国は。

 私は12歳、こう考えている、もしまた戦争が起きたら? 私たちの国が攻撃されたら、そしたらどうなるの? もちろん、私は国を護るつもり。国を護る、例えば、狙撃兵になって。早く大人になりたい。ファシストどもを殺すんだ。なぜファシストかって? わからないんだけど、頭の中にどういうわけかファシストが浮かんでた。私は死ぬかもしれない。すごく若いのに死んでしまうんだろう。そしたらママが泣くだろうけど、私のことをとても誇りに思うだろう。とても静かで暗くて抑制の効いた誇り。女の子二人をのぞいて、私とは誰も仲良くしてくれなかった、私はクラスメートたちを見ながら思っていた、あなたたちはいずれ、私と同じクラスだったって話をすることになるんだよ、そして、私がどんなだったか思い出すでしょう。ただ不安だったのは、私はクラスでいちばん小さく、ひ弱で、全然丈夫じゃなかったこと。大丈夫、スナイパーライフルは重くないから。

 私は13歳、私たちの住む通りで葬儀があった。つい昨日まで学校に通っていた若者が徴兵され、チェチェンに送られ、殺されたのだ。隣人のリョーニャに訊いた、誰に殺されたの? チェチェン人さ。どうして? チェチェンで戦争が起きてるからさ。誰と?テロリストどもとだ。うわあ、テロリストを殺すほうがファシストよりかっこいい、と私は思う。いや、やっぱりファシストの方がかっこいいな。それともテロリストかな? もちろん、かわいそうな若者だ。彼はもちろん英雄。でも、戦争の話をリョーニャは誇張してる。テレビでは「対テロ作戦」だと言っている。もし戦争をやっているんだとしたら、私たちが知っているはずでしょう。

 私は14歳、チェチェンに関するアンナ・ポリトコフスカヤの記事を読んでいる。クソっ。

 私は14歳、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの本を読んでいる。クソっ。

 私は17歳、ジャーナリズム学部の学生で、国際法のゲームをやっている。ゲームには、いろんなジャーナリズム学部のチームが来た。チェチェンのチームはアーシャとマリカという女の子二人組で、真面目できれい。私はゲームの後、彼女たちのそばに行き、部屋に招く。私たちは寮に行く、私はお茶をいれる。私は彼女たちに気に入られたいと強く思っている。モスクワを案内させて、と言う。そのとき、窓の外で、まるで注文したみたいに花火があがった! 花火だ! 見て! 私は花火を見ながら言う、「モスクワではよく花火が上がるの」。女の子たちは黙っている。振り向くと、二人がいない。どこにいるの? 彼女たちはテーブルの下にいた。

 私は20歳、ロシアがジョージアを攻撃している。大統領は、これは平和維持活動だと言っている、なぜなら、ジョージア南オセチアとアプハジアを攻撃したからだと。「ノーヴァヤ・ガゼータ」からは三人の特派員が向かっている――オリガ・ボブロワとアルカジイ・バプチェンコ、ロマン・アーニンだ。とりわけ、アーニンについては悔しい。彼は私よりたった1歳年上なだけだ。私にもできたはず。でも、私と他の女の子三人はウェブニュースに配属される。私はすべての情報をチェックし、記事を書かなければならない。また、特派員の動きを追い、彼らから至急の情報を受け取り、ロシア軍とジョージア軍の進行について伝えないといけない。電話が手放せない。着信を逃すことがとても怖い。どの情報が重要で特派員たちに伝えるべきか、いつなら彼らの邪魔にならないか、を選ぶのがとても怖い。もし私のせいで彼らの誰かが怪我をしたら? 殺されたら? 私は3日間眠れなかった。4日目になるとすべてがクリアになり、見通せるようになる。足を引き摺って歩く。レーナ、ちょっと寝なさい、私たちが替わるからと女の子たちが言う。私は編集部のソファに横になり、上着で体を包んで、携帯を頬の下に置いた。闇に落ちていく。肩を触れられて飛び起きる。なに? イーラが言う、戦争が終わったよ。部屋がそっと光に満ちてゆく。

 私はもう、一秒たりとも携帯を手放すことはできないだろう。

 一昼夜してバプチェンコが戻ってくる。彼は会計係を怒鳴りつけている――彼女が彼に精算書のための領収書と半券を要求したからだ。彼が言う、おまえが行ってこいよ、くそったれ。彼は自分の仕事部屋へ消える。私は彼を追いかける。彼は、丸焦げになった人たち、足のない人たち、鼻も目もない人たち、日なたでパン生地のように膨れあがった人たち、弾丸に貫かれた人たち、生きている人たち、死んだ人たちの写真を見せてくれる。頭の傷、ズボンにあいた穴を見せてくれる、砲弾の破片だ。それから彼は、なぜだか脇のほうへ連れていこうとする。なに? 飲んでるの? いや、飲んでないよ。彼は私のほうに身を屈めて訊く、俺は死体の臭いがするか? 嗅いでみてくれ。なに? 俺は自分が死体臭い気がするんだ、きみはどう思う? 俺は遺体を載せた車に乗ってたんだ。いいえ。きみは嘘つきだ、レーナ。嘘なんかついてない。私はすぐに副編集長のところへ行く。バプチェンコの様子がおかしいです。家まで送っていかないと。ああ、すぐに、と副編集長が言う。

 私は23歳、副編集長が言う、きみは戦場には絶対に行けないよ。女性だからね。これは男の仕事だ。私は思う、fuck you。

 私は24歳、エジプトの革命に向かっている。火炎瓶が当たって、生きたまま焼ける人たちを目にする。投石が耳や指をちぎり、頭を貫通するのを目にする。それから銃撃が始まる。

 私は26歳、ドンバスで戦争が始まる。ウクライナドネツクルガンスク州は、ドネツク民共和国とルガンスク人民共和国という独立国家になったと宣言される。ウクライナは「対テロ作戦」を開始し、二つの「共和国」が応戦する。そこにロシア兵はいない、とロシアは言う、ウクライナは自国民と戦っているんだと。私はロシア兵の遺体を探す(彼らは隠されている)――そして見つける。

 私は27歳、ドンバスへ向かっている。飛行機の中からママに電話をかける――以前は電話するのが怖かった。ママが泣き喚くと思っていた。彼女は言う、「私の住所をメモしてパスポートに入れておいてくれる? パスポートはセロファンでくるんで常に身に着けておきなさい、バッグの中じゃなくて服の中に入れて。1日に1度は、ショートメールでもいいから連絡を取るようにして。水を飲みなさいね。暖かいところを探すこと、病院を見つけて、軍用車両は避けること。抗生物質は持った? なんとかして止血帯を手に入れないと。

 私は戦争を目にしている。戦争が醜悪なものだとは、どの本にも書かれていなかった。重機が大地の表層を押し潰し、その下から薄茶色のぬかるみが這い出てくる。それがすべてを覆っていく――人間、車、家、犬……。捨てられた犬がたくさんいる。武器を手に充分な睡眠をとれない人間がたくさんいる。 

 私は二度、砲撃に遭った。自分が四つん這いで走れることを知る。夢の中みたいに大きな跳躍をしながら走る、私の体はしなやかで敏捷だ、自分が死ぬなんて信じられない。

 私はその後さらに二度ドンバスに行った。

 たくさんの文章を書いた。それらを読み返したくはない。

 私は31歳、ニューヨーク市立大学のジャーナリズム学部に通っている。私たちに国際ジャーナリズムを教えてくれるのは、アリーヤ・マレク――美しいシリア人で、申し分のない思考と鋭い言葉をもっている。彼女のゼミの予習には、他の授業よりも時間をかけている。私に注目してほしいと強く望んでいるのだが、私には彼女を驚かせるようなものが何もない。私はあまり本を読まないし、考えるのも遅い。アリーヤは私たちに、用心深く誠実に書けと教えてくれる。アリーヤは私たちに、注意深さと謙虚さを教えてくれる。最後の授業のときに彼女はタイムのパンとアラビアのスイーツを持ってきてくれた。私たちは食べる。学生たちは順番に自分の好きな曲をかける。私はアリーヤのそばに行き、「もうすぐモスクワに帰ります。ぜひ遊びに来てください」と言う。アリーヤは、部屋の照明の色が変わったのかというほどに青ざめる。彼女は体を屈めて近づくと、小さな声でこう言う、「私は絶対にモスクワには行かない。あなたの国の兵士が私の国の人たちを殺しているのよ」

 私は34歳、ママがコロナに罹ったので帰省した。私たちはテレビの前に座ってプーチンの話を聞いている。プーチンが言う、ロシアはドネツク民共和国とルガンスク人民共和国の独立を承認すると。「この悲劇がどれだけ続くのか?」と彼は問いかける、「ご清聴ありがとうございました」。私は煙草を吸いに出て、急いで洗濯機を買う。家の修繕が間に合ってよかったと思う。私は現実的なクソだ、忌々しい、とも思う。畜生、とママに向かって口にする。ママが訊いてくる、何が起こるの? ドネツク州とルハンスク州に軍を投入しても、もう公式なことだってこと、と私は言う。戦争はもっと大掛かりになるよ。ママが言う、その代わりロシア人たちを護るんでしょう。あそこにロシア人がどれだけいるか知ってる? 私は言う、私、モスクワに行かなきゃ。つまり、私、ドネツクに行くよ、という意味だ。ママが言う、おじいちゃんの写真を持って行きなさい。修復して拡大して、わかった? わかった。私は祖父の写真をパスポートの見返しの裏に貼りつける。

 私はモスクワにいる、眠っていて、鮮明な夢を見ている。夢は鮮明すぎて痛いほどだ、でも、なんて美しいんだろう。私は起きて、煙草を吸いに出る。部屋に戻る。私の彼女が電話をもってベッドに腰かけている。彼女の表情が読めない。眠ってないの? キーウが爆撃されてる。え? キーウと、ウクライナの大都市が全部爆撃されてる。私たちの国が爆撃してるの? 私たちの国が爆撃してるんだよ。

 私はそれからまた二時間眠る、自分を無理やり眠らせる。着替えて編集部に行く。こう言われる――準備はできてるか? もちろん、できています。

 実際には、自分たちがファシストであるということに準備するなんて不可能だ。私はそのことにはなんの準備もできていなかった。

 

(抄訳)

エレーナ・コスチュチェンコ
1987年、ソ連のヤロスラヴリ生まれ。「ノーヴァヤ・ガゼータ」の記者としておもに戦場を取材し、数々の賞をとっている。また、LGBT活動家としてもこれまでに多くの運動を手掛けている。