【詩】エカテリーナ・シーモノワ

 

ロシアのフェミニスト詩人エカテリーナ・シーモノワ

エカテリーナ・シーモノワ

エカテリーナ・シーモノワは現在ロシアのフェミニスト詩人を代表する一人。ウラルの首都といわれるエカテリンブルク在住。

シーモノワは、詩行には時の停滞が、時の沈黙があるという。そのとき詩には誰も存在せず、ただ言葉だけがあると。その言葉は、聞こえ(あるいは見え)はするが、見知らぬ他人の純粋な声となって時の停滞を破ることができる。

たとえ肉親であっても親しい仲でも人間関係はすべて偶発的なもの。だからどんな関係も頼りなく、先のことはわからない。そしてどんな近しい関係にも痛みが伴っている。

「祖母が死んだとき私は嬉しかった」は、2019年に「ポエジー賞」を受賞した作品。時の停滞を破る声は、死者との会話として発される。人間の内にある生/死の均衡が逆転していく祖母。それを冷静に見つめる〈私〉によって、言葉→囁き→笑いと、言葉を失っていく祖母の最期の様子が、言葉でしかない詩となることに感嘆のため息がこぼれた。

 

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祖母が死んだとき私は嬉しかった
最初のうち彼女は何か考えこんで黙りこむようになり
誰もいない場所を見るようになった
それから意志の最後の力をふり絞り
元に戻ろうとした
ひと月後 祖母が不意にママに尋ねた
「冷蔵庫に腰かけている男の子は何?
ほら、笑ってるでしょ、金髪のとてもきれいな子
見て、見て、あの子飛び降りてどこかに走って行ったね」
「どこに行ったのかね?」
翌日、彼女には祖父が見えた 若くて朗らかな姿で
彼の死後十七年も経って初めてのこと
「アファナーシイ、あなたのそのシャツは何?
そんなの持ってたっけ、そんなの買ったことないんだけど」
二日後にはテーブルの向こう側に
祖母の継母が座っていた 祖母は私の母を肘で突いた
「オリガ、何もわからないの、この人黙って微笑んでるよ、黙ったまま
黙って微笑んでるの、マトリョーナ、何があったの?」
一週間後、我が家は人でいっぱいだった
祖母は昼も夜も彼らと話していた、私たちは知ってはいるけど
一度も会ったことにない人たち、満足げに
我先にと喋る死者たちと
今年の収穫はどうなるとか
会えて嬉しいとか
風呂に隠れている黒い子猫は何なのとか
次に私たちに会ったとき 彼女は私がわからなかった
まるで私など一度もいたことがないとでもいうように
起き上がることをやめ 目を開けることをやめ ただ何か囁くだけ
小さな声で、変なふうにすごく笑っていた
煙のような知らない他人の魂を満たした空っぽの抜け殻
それは生でも死でもなく まったく見知らぬものだった
それよりもかなり悪い何かだった
そして彼女は笑うこともやめた

 

フェミニズム詩学』(Поэтика феминизма, АСТ, 2021)より